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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第174号        ’03−05−09★

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     好きでなくちゃ

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●ジャック・ウェルチについては、

 

  に、またかよ? と思われるでしょうが、お許しあれ。 前回、

  一つ積み残しがありまして、、 

 

ずっと遡って第78号、GEトレーニング・センターでの彼の講師ぶり

に触れたことがありました。 それに比べると松下さんは、、と書いた

のは154号。 両社の格差で一番大きいのはトップの気合いの差、、

 

と言えるほど、CBSドキュメント画面のウェルチは迫力十分、しかも

明らかに楽しんでいました。 <講師役>が好きでなくちゃ、あんな風

には演じられない、、 

 

と推量した次第でしたが、正解。 彼自身<我が経営>(日経)の中で、

そう述べていました。

 

  なんといっても、教えることが私の生き甲斐なのだ。 前々から

  教えるのは好きだった。 博士号を取得した後、二、三の大学の

  面接を受けたほどだ。(上 p.275)

 

そしてその四半世紀後、

 

  1984年から、私はクロトンビルで開かれる三つのマネジメント研修

  すべてに顔を出すことにした。 あるゆるものをつくり変えた。

  それまでは他社の事例研究が中心だったものを、GEが実際に直面

  している問題に取り組むように変えた。 (上 p.271)

 

  1ヶ月に一、二回はピット(階段教室)に出向き、四時間は過ごす。

  21年間で1万8千人近いリーダーとじかに接することが出来た。

  、、、気に入っている仕事の一つだ。 (上 p.275/6)

 

 

サーモ屋には研修施設などありませんでしたが、私の立つところ(工場

では自作の<立ち机>、そして現場巡回。 滅多に座らぬ習慣)はどこ

だろうと即席<教室>。 たゆみ無く教え続けました。

 

そのため<教育パパ>と呼ばれた(第16号)りもしましたが、刺激し、

教え、手を貸し、励まし、、でなければ人は速く育たない。 未踏加工

分野に挑む毎日、社員には迷惑でも促成栽培が必要だったのです。

 

しかし<育てる>ことは、容易でなく、また必ず報われるとは限らない。

だからよほど<好き>な人でなければ<しない>し、誰でもがうまくは

<出来ない>し、何とか出来たとしても長くは<続かない>。

 

ウェルチはそれが<好きだった>し、サーモ屋も、、は<幻想の共有>

でしょうが、、とにかく<した>、<出来た>、<長続きした>。

 

言うなれば、「好きこそものの上手」+「継続は力」=「好きこそ力」。

 

*   *

 

教えるでも育てるでもない、ただ説教好き、というリーダーはどこにも

いますが、あれはむしろ<パワハラ>。 する人の自己満足や精神衛生

の類。 EQの低さ、お里が知れます。

 

  <キミのため>だって? いや、説教している<あんた>がいなく

  なってくれる方が<私のため>になりますよ、、 とか言いたいね。

 

たとえば<シカル>と<オコル>の区別も無い、要するにワカッテナイ。

<目的を意識して理性的に>教え導く 親、教師、上司 etc. が少ない。

最悪なのは<教える立場>の自覚すら欠いた人が<教える>こと。 

 

 就職したけれど仕事が合わない、転職する、と言う青年がおりました。

 で、今度は何を? 小学校の教師です。 えーと、たしかキミ、子供

 が嫌いだったんじゃ、、?

 

 ええ、でも、区の教員住宅に入れる、通勤時間が短い、転勤が無い、、

 呆れました、自分都合ばかり。 こんな奴が何を<教える>のかね?

 

 約2年後バッタリ遭遇。 どうだい、先生稼業は? すると、渋い顔。

 いやあ、キツイんです、もうクタクタ。 (若い)男手が少ないので、

 力仕事がみんな来ちゃう。 特に運動会など、、 と愚痴ばかり。

 

 質問力の私としたことが、<教える>についての話題、彼からは引き

 出さずに終わりました。 あの<仰げば尊>くない<師>め、その後

 どうしたことやら。

 

<教える>ことが好きでもない人が、何かの間違いで<教える立場>に

いる、いたがる。 どこにもあること、、ですが、困りますねえ。

 

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●ノーベル賞の小柴昌俊東大名誉教授は

 

最近の理科系学力低下に心を痛めておられ、「中1、2頃の理科の先生

が好きか嫌いかで決まる」、「理科の先生が好きだったから理科が好き

になった、というもの」、だから「理科の先生には、是非<子供たちに

好かれる先生>であって欲しい」とおっしゃる。

 

それには先生自身がその教科を好きにならなくてはいけません。 好き

でないものを義務で教える、、ではねえ、とも。

 

 教授ご自身、中1当時ポリオで入院し、<数学の金子先生>が見舞い

 に下さった<物理学はいかに作られたか>という(アインシュタイン

 とインフェルドの対談の)本、「それに影響されて物理へ進んだ」由。

 

 だがトントン拍子とは行かず、一高生時代、物理の先生が(風呂場で、

 ご本人の存在に気づかず)「小柴は物理はダメだろう」と話している

 のを漏れ聞いて発奮。 以後、東大からロチェスター大、シカゴ大、、

 

 素質を見抜き、発奮させるためにわざと、、 だったのならこの陰口

 先生、たいしたものですね。

 

全くお説の通りですが現実は、それにデモなっておこう、それシカない、

の方が多いようで。 <教える>は形だけ、だから以心伝心、学生の方

も楽しくない。 その学科、好きにはなるまい、、

 

 

そんな記憶、私にも。 ワセダを物理・化学の正攻法で受験しよう、と

決意したのに、あいにく両科目の教師、大いに難あり。 深刻でした。

 

いや、数学教師も国語教師も、、 で、<学校>を早々見切り、参考書

独学方式、、としたのが大変良かった。 こと受験勉強に限らず、自助

努力で困難を克服する習慣が身に着きましたから。

 

 夜の自宅学習に全力を注ぎ、<学校>では昼寝。 その習性?が進学

 後も改まらず、しかも毎朝バイクを駆って一仕事、教室に飛び込む時

 は開講スレスレですから、最前列中央が私の指定席。

 

 詰め襟・角帽に囲まれ、いつも教壇真下で爆睡している革ジャン男は

 異様。 「この人、本当にこの教室の学生、、?」と周囲に確かめた

 教授もいたそうです。 しかし、

 

 それがまた<良かった>。 寝ていたにしては、、かどうか、答案に

 良い点数がもらえたし、寝ていたお陰で<学校>の汚染を免れること

 が出来、積極性や柔軟性を失わずに済んだのですから。

 

*   *

 

と言っても、ひと様のお力にすがったことが無いわけではない。 前記

ダメ物理教師の口癖、「どうもデンキは苦手、、」に影響されたようで、

私もややキカイ系。 どうもデンキは、、 

 

こりゃマズイ、で一計、仕事の余録、現役電気技師に教えを請うことに。

東芝は柳町工場、冷蔵庫生産ラインの脇で個人教授。 騒音の中でした

が、未だそんなことが可能だったんですな、あの頃は。

 

そのA技師は穏やかな人、行くとニッコリ、「しばらくお待ちなさい」。

やがて仕事の区切りをつけ、机上を真っ平らに片付ける。 おもむろに

1冊の薄い古びた本を取り出し、座右に置く。 それはかつて彼が電気

を学んだ時の教科書、いわば聖書、あるいはお守り?

 

そして背筋を伸ばし、ピタリと視線を合わせ、「はい、今日は何を?」。

<問題解決は白地スタート、現実直視!>そのものの姿勢でした。

 

「基本はオームの法則!」が持論、ヤヤコシそうな問題もたちまち切り

分けてヤサシクしてしまう。 <取り組み方>や<基本原理の活用>を

淡々と見せてくれるA氏が好きで、結局デンキも好きになりました。

 

 実は私も、中2で小4の子を教えたのが始まり、大3まで切れ目なく

 家庭教師を頼まれ、劣等生を何人か優等生に変えましたが、魔法など

 ありはしない、もっぱら<教科書準拠>。

 

 <基本>はここに出てるね、これをどう当てはめれば問題が解けるか、

 だけなんだよ、、と弟子の試行錯誤に付き合って気付きを誘い、ほら、

 キミ出来たじゃないか、、 少々時間のかかる方法ではありましたが。

 

 前号オマケ写真の<同行K君>は、第65号に<一人伴って>とした

 我が勉強コーチング最後の<弟子>。 修学旅行、ということで、、

 

 考えてみると私のそのコーチング・スタイル、 Rational Process に

 おいてもほとんど変わってない。 <基本>を教える、という点も。

 

**********

 

 

 

●する気があれば

 

 

どこでも出来、いくらやってもオシマイにならないのが勉強。 知るは

楽しみ、<教える>のも楽しみ。 勉強好きは得です、一生楽しめます。

 

楽しむ人なら、幸福感を漂わせて当然、、 なのに我が<高学歴>社会、

<高幸福感>社会にはなっていませんな。 多分、我が国の<教育>が

マチガッテいるから、でしょうな。

 

 

知識、即ちコンテンツは<勉強>のハード部分。 教科書の知識は初め

から一拍遅れ、しかもどんどん陳腐化するので、必要に応じ<自分で>

着々更新・補強し続けて行くほか無い。

 

 理系知識は獲得に歳月を要し、物性物理に支配されて人格の硬直化に

 及ぶことがある。 組織に加わっても、営業系のように柔軟自在とは

 行かず、で昇進の妨げになったり、<専門バカ>と蔑まれたり、、

 

 しかも技術は分進秒歩、永年の研鑽も突然フイになったり、遙か年下

 に先を越されたり。 年齢が年齢、改めて勉強する余裕は与えられず、

 しかし責任だけは取らされ、空洞化されたりリストラ対象にされたり、、

 

 そんな親や先輩の窮状を見れば若者は不安になる。 何を勉強すれば

 良いのか、も見当がつかない。 モトがかかり、その割には見返りが

 アテにならない、、 理系志望者減少も不思議じゃありませんな。 

 

だからむしろ、学校教育で重点を置くべきはコンテンツ活用法や問題の

解き方、即ちプロセス、<勉強>のソフト部分。 それは対象や局面で

千変万化し得るが、一貫するのは「問題を解こう」という姿勢、態度、、

 

となると、もはやリクツではない、<教える>側の人柄で感化するのみ。

問題を解くことが好き、教えることが好き、をアリアリ感じさせる先生

でなくては。 しかしそんな<先生>、滅多にいませんよ、小柴教授。

 

まして実社会、<勉強好きのオトナ>が少ない。 酒やゴルフに費やす

時間やエネルギーはあっても、<勉強>には割り当てない。 要するに

<好き>じゃないから、でしょうな。

 

まして<教える>のが好きなんていない、<教える>のがうまいなんて

さらにいない。 しかし、話は戻るが、教えなくちゃ人は育たない、、

 

*   *

 

そこでお勧めは Rational Process。 <教える>コツは、順序正しく、

区切って、目に見えるように、ですが、<シート>はまさにそのもの。

あなたのフクザツな頭脳活動も、たちまち<一目瞭然>化、、

 

それでもワカラナイと言うデコ助には、これのどこが? とシートの

その部分を指で差させることも出来ます。 いや、教えるのがうまい!

デコ助はあなたが好きになる。 あなたは<教える>のが好きになる。

 

さよう、Rational Process は<教えるのが好き>にするツール!  

                         ■竹島元一■

 

    ■今週の<私の写真集から>は、 ★お勉強★

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